木彫教室[第1回]-はじめに-

 近年、ウッドカービング(Wood Carving/木彫)に対する注目度が上がってきているようです。あらゆるものがデジタル化され、自動化され、お手軽に作れてしまう世の中になりましたが、木工彫刻アートはそういったものとは対極に位置するものように思えます。

まず、以下の素材をご覧ください。

 実は、上の素材は右半分と左半分はクオリティを変えて彫刻しています。

 作る人により、あるいはそのときの制作者の気分や、体調や、環境など、同じテーマを彫刻するにしても、実はできあがる作品は変わってくるということを言いたいのです。

 こういったことは、アナログな違いは決して、デジタルでは表現しきれないものであると思えます。

 さて、ご存じのとおり、実は「彫刻」と一言で言っても、その領域は非常に広いものです。

 その中でも「木彫(Wood Carving/木彫)は、他の彫刻アートとはだいぶ異なるものであると言えると思います。

 そう思える理由のひとつは、自分が表現したいとアートや造形を具現化できるようになるまで、くぐり抜けなければならない「関門」が非常に多いということです。

 ここでいう関門とは「スキル」であったり「知識」であったり、「経験」であったり、「クラフトマンシップ」であったりします。

 要するに技術、ノウハウ的な「お勉強」が多く必要になるということを指しています。

 たとえば、木彫という分野においては、少なくとも「彫刻スキル」・「木工スキルとノウハウと経験」・「塗装スキル」という3分野のスキルが必要になります。

 これら3分野のスキルをクリアして初めて、アート的な自己表現を具現化することができるようになるわけです。

 いうならば、これらのスキルを有して、初めてアート門をくぐる権利が与えられるのです。

 このような下積みの期間は、永い期間がかかることが予想されます。

 これがすぐに結果が出ないというという主張の根拠となります。

木彫像 2014年 井上和彦

 とはいえ、これらの技術を一旦学ぶことができれば、その技術を使った無限の表現手法を手に入れることができた、とも言えます。

 ありとあらゆるフォルムや造形物を具現化する力を、得ることができるわけです。

 これは想像を超えてすばらしいことです。

 道は長いと覚悟する必要はありますが、尻込みする必要はありません。この永い旅の途中では様々な出会いがあり、まだ見ぬ「自分自身」に出会うこともあります。

 私は、よく教室で「木彫は自身を発見する旅だ」といいます。

 というのも、彫刻というものは「自身が想像したものしかできない」からです。

 多少素材の木や使用するツールに”導かれる”部分もありますが、結局のところ自身が「美しい」と思うものしか作ることができないのです。

 自身が納得できないものはいつまでたってもできないのです。

フローリッジ2020 井上和彦

 このブログのテーマは自身の経験に基づいてお話を進めています。

 次のような疑問を感じたことはありませんでしょうか?

「なぜ、時間をかけず、適当に作った作品は届いて欲しい人の心に届かないのだろうか?」

「なぜ、拘って作った作品は、作者から完全に切り離され、そのもの事態で訴求する力を持つのだろうか?」

 回答はこれから本ブログを学ぶことで、きっと結論にたどりつけるでしょう。

 作品は完成した瞬間にそのもの自身が命を宿し、作者の手を離れ、その作品を見た人々に、直接語りかけます。

 作品を見た人は作品と対峙することで、作品を解釈し、理解します。

 それで良いでしょう。

 作品は作品とその作品を見た人のものだからです。ひょっとすると作品の題名すら要らないかも知れません。

 話が彫刻の深淵に行く前に、まずはクラシックなところから、自分たちの立っている位置やスキルから掘り起こす作業から始めましょう。

 このブログはノービス(初心者)の方を対象に書いていますので、あらゆる細かい話をする前に、基本的なことを押さえて旅を始める必要があります。

 一般に、カービング(木彫)技術は、工芸技術(クラフトマンシップ)とアート的表現(アーティスティックスキル)が理想的に融合した工芸といえます。

 そしてそれは、他のどのような工芸にも見られない特徴のひとつです。

 それでは、まずは前者、クラフトマンシップついて考察を開始してみましょう。

 一般に、「木」という素材は厄介な媒体(造形対象)と見なされています。

 木という素材は、理にかなった、その特性を理解した妥当な扱い方をしている限り、やさしく反応します。

 そして、同時に非常に美しい表情を見せてくれます。

 しかしその一方で、手荒な扱いや、粗末な扱いをした場合、木は「激しい反逆的態度」を見せます。

 ここで言う「激しい反逆的態度」というのは、木を少しでも削ったり、加工したりした経験がある人なら、すぐに思い当たります。

 そうです。

 木には「木目」というものがあります。

 この木目が一般に木の加工を難しいものにしています。

 木を削る道具に「鉋(カンナ)」という道具がありますが、この道具を使いこなすために必要な一丁目一番地の知識に、木目に沿う方向に削ることを、「順目」といい、木目に逆らう方向に削ること「逆目」というものがあります。

 木を逆目の状態でカンナで削るには、熟練の技術が必要になるのです。(こんなことを言うと、一部の名人と呼ばれる人からは怒られるかも知れませんが(笑))

 そして、この木目のでき方(つまりは、木目の形成のされ方)は、一つ一つの木で異なるものです。

 木が生きていた土地の土壌にもよりますし、その年の気候にも、左右されます。

 つまり、換言すると、基本的に一つ一つの木には、その木にあった削り方があるわけで、本来的には作る人の都合で削ったり、加工したりすることはできないと考えるべきです。

 木目の持つ強い特徴を理解しないで作品を作ると、失敗を繰り返したり、出来上がったものが、平凡な半完成品になってしまったりします。

 古くから、日本では木の特性を理解し、うまく削るために長い修行が必要でした。

 日本は温帯の気候で、生育した木が(世界的に見たら)柔らかく、そのため木の特徴を生かした様々な技術が生まれたのだ、と言われています。

 たとえば、指物の技術が発展したのも、いかに丈夫に木を組み合わせて、実用に耐えうるものを作るか?という要求から生まれたと言われています。

 かつては、木挽き職人という人もいました。

 丸太の木からどのように木を「切り出す」のが、木にとってもっとも良いのか?、切り出した木が加工しやすいのか?丈夫なのか?美しいのか?を考え、まさに木にピッタリの切り出し方で丸太から材を切り出す職人さんです。

 彼らは、その天才的な切り出し方で木を生かし、家具を生かしてきました。

 次に、芸術(アーティスティックスキル)の面で考察してみましょう。

 木彫においては、おそらく、木彫以外の他の造形アートに対してもすべて当てはまる事だと思われますが、形、プロポーション、バランスに対する正しい評価が非常に重要な要素であるということです。

 事実としてですが、どのようなテクニックの優秀さも、芸術的表現の欠如をおぎなうことはできません。

 このことは木彫を習おうとする生徒たちにとって、テクニックの完璧さに集中しすぎることは、良いデザインの重要性を見失ってしまうという危険性につながります。

 これらの2つの基本要求を開発しようとするとき、本ブログの読者は両者が爆発的に開発されうる能力である、ということに気づくことでしょう。

 2つの能力のうち、テクニックはより容易に得ることができます。

 多くの場合、これは「練習の問題」です。

 もう少しいうと、「練習”量”の問題」であり、より具体的には「”失敗の量”の問題」です。

 たぶん違和感を感じることはないと思いますが、木工は失敗して初めて上達する種類のスキルなのです。

 とても、逆説的ですが、これが事実です。

 なので、私はクラスの生徒たちには失敗を奨励しています。

 ひらたく言えば、「多くの仕事と同様、スキルは「実行すること」で獲得することができるわけです。

 仕事をこなすこと、手を動かすこと、それが唯一の学ぶ方法です。

 考えてみてください。

 どんなに優れたレシピ本を、どんなに沢山読み込んだとしても、名シェフに決して成れない事は、誰でも理解しているはずです。

 当然、名シェフになるためには、たくさんの実践と経験を積まなくてはならないのですから。

 確かに、何年もかけて学ばなければならない、ある種の基礎的な問題は存在します。

 そして、そういうことが確かに存在するということを、予め「学びを始める前」に知ることは、これから、この種の学びを始めようとする本ブログの読者諸君の、欲求不満や後悔を避ける方法として有効に機能することでしょう。

 本ブログは、ノービスの木彫初心者向けに書かれていますが、すでにある程度の技術を習得した熟練技術者にとっても、技術の整理、棚卸にきっと役立つ情報が詰まっていると信じます。

 どうです?

 そろそろ、木彫の世界を旅したくて、待ちきれなくなっていませんか?

 お待たせしました、それではこれから木彫の深淵の世界を、一緒に旅してみましょう!

 きっと、新しい発見に出会えることでしょう!

Gibbons風Foliage 2014年
材料:シナ材(無塗装版)
作者:井上和彦

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